研究の背景
UBIには政治的に左右双方から支持があるが、「無条件で全員に同額を配る」ことが、どの正義観から望ましいのかは自明でない。同じ低所得でも、低賃金、働く時間、資産所得、家族所得、健康、本人の選好など原因が異なる。政策がそれらを区別できるなら、同じ扱いが公平とは限らない。
またUBI案は、給付側だけを語り、財源となる税とその労働供給反応を暗黙にすることが多い。著者らは経済理論を使い、UBIの望ましさと財政的な実現可能性を、先進国・途上国の制度環境の違いも含めて整理する。
方法と対象
著者らはUBIを、(1)現金、(2)普遍的、(3)無条件という三要素で定義する。無条件とは、稼得能力、本人の非勤労所得、同居家族の所得、年齢・婚姻・家族構成、障害などの特別な必要、就学や求職などの「望ましい行動」で支給を条件付けないことである。実際の制度では年齢制限や障害給付の併存が多いため、理論上最も争点になるのは資力調査を行わない点だとする。
分析は制度環境を三段階に分ける。
| 環境 | 主な仮定 | UBIと比較する論点 |
|---|---|---|
| 第一最善 | 政策当局が能力・選好・資産所得を把握できる | 正義・最低消費の規範 |
| 第二最善 | 能力や選好を直接観察できず、所得への反応がある | 最適所得税、選別と就労誘因 |
| 第三最善 | 所得把握、徴税、給付実施にも誤差・汚職がある | 普遍制度の簡素さと漏れ |
個人の所得を労働時間×賃金と非勤労所得に分解し、消費と余暇を選ぶ静学モデルを用いる。後半では、UBIを追加的な線形所得税で全額賄う均衡を置き、税率、労働供給、平均所得、徴税できる確率が給付可能額をどう決めるかを分析する。
結果
現金は選択を広げるが、現物給付の根拠も残る
受給者が自分の利益を正しく判断し、外部性もなければ、同じ費用の現金は現物給付より選択肢を広げ、少なくとも同程度の効用を与える。現物給付の指定量より多くその財を買いたい人には、現金と現物は同じ結果になる。
一方、栄養・教育の外部性、判断の偏り、世帯内で現金を管理する人と必要な人の違い、特定財の供給不足があれば、現物や条件付き給付の根拠が生まれる。従って、現金給付の優位は全ての公共サービスや目的別給付を廃止する根拠にはならない。
平等主義だけでは一律無条件を導けない
第一最善の世界で個人差を完全に観察できるなら、政策当局は低所得の原因に応じて異なる移転を設計できる。労働能力が低い人と、能力は同じだが余暇を強く好み働かない人を同額支援することは、多くの平等主義的な社会厚生関数から自動的には支持されない。
著者らがUBIを正当化しやすいと評価する規範は貧困緩和、すなわち全員に最低消費を保障することである。これは所得が低い理由を問わず最低線を置く考え方に合う。ただし、最低消費を保障する給付と、全員が政府から同じ総額を受け取ることは同じではない。税を含めた純移転では高所得者が負担側になる。
情報制約があると無条件性の各要素は別々に評価される
政府が真の賃金能力や働けない事情を観察できない第二最善では、低所得者への給付は高能力者が労働を減らして受給者をまねる誘因を作る。最適所得税はこの情報制約と再分配の価値を均衡させる。
無条件化には異なる効果がある。
- 本人の資産所得を問わない:資産所得を別に課税・把握できるなら、無条件にする必然性は弱い
- 家族所得を問わない:個人の自由と世帯内分配には利点があるが、裕福な家族内で非就労を選ぶ人への給付費用が増える
- 就労可能性を問わない:失業・障害を正確に識別できれば対象給付の方が効率的だが、判定が誤ると必要な人を外す
- 行動条件を置かない:条件の監視費用やスティグマを除ける一方、教育・健康の外部性を促す手段を失う
UBIは受給スティグマを減らし得るが、無条件受給そのものへの社会的非難が生じれば消えるとは限らない。スティグマが就労を促す一方で受給すべき人を排除し、厚生を下げる可能性もある。
国家能力が低いほど普遍性の実務的根拠が強まる
第三最善では、所得を正確に測れず、対象認定に遅延、漏れ、腐敗がある。精度の低い資力調査で貧困層と非貧困層を十分に区別できないなら、誤った選別の便益は小さく、単純な普遍給付の相対的な魅力が増す。
この論理から、著者らはUBIを先進国の社会正義の万能策としてよりも、貧困人口が多く、非公式労働が広く、給付行政が不完全な途上国の貧困緩和策として擁護しやすいと整理する。ただし、途上国は同時に課税できる人口割合が小さく、徴税能力も低いため、必要性が高いことと財源を確保しやすいことは別である。
税で賄うと給付と労働供給は同時に決まる
追加の線形所得税でUBIを全額賄うモデルでは、税率を上げると当初は給付可能額が増える。しかし税引後賃金が下がり労働供給が減るため、課税ベースが縮む。ある税率を超えると、税率を上げても給付可能額は減る。従って実現可能なUBI額には上限があり、その上限は労働供給の反応、平均所得、非勤労所得の分布で変わる。
所得が再分配されるだけなら集計上の所得効果は小さいが、税による代替効果は残る。貧困が深く、生存に必要な消費と無償労働時間が制約になる人は、少額のUBIを得ても労働時間を減らせないため、途上国では短期の負の反応が小さい可能性がある。先進国では既に給付を受けない非就労者が新たに受給し、就労者への追加税も生じるため、労働供給への負の効果がより重要になり得る。
線形税の下では、平均的な「完全所得」の人は常に低い税率と低いUBIを好む。所得分布の中央値が平均に近ければ、UBIの拡大を多数派が支持する保証もない。非線形税で高所得者の労働を保ちながら大きな税収を得ようとすると、低所得域の限界税率を高くする形が理論上現れ、低賃金者の就労を抑える別の問題が生じる。
さらに、真の所得を正確に捉えて課税できる確率が低いほど、同じUBIに必要な税率は高くなる。富裕層ほど租税回避しやすく徴税が逆進的で、所得格差も大きい経済では、同じ税率で賄えるUBI額は一層小さくなる。
著者の結論
著者らは四点にまとめる。
- UBIは、全ての平等主義者が当然に支持すべき制度ではない
- 規範的には貧困緩和が最も強い根拠であり、行政の不完全な途上国で相対的に擁護しやすい
- UBIが医療、障害、教育など他の条件付き給付を全て置き換える理由はない
- UBIは貧困を一時的に緩和できても、公共サービス、インフラ、統治、成長政策の代替にはならない
モデルは静学かつ確実性下であり、貯蓄、技能形成、世代間効果、保険、起業、給付頻度などを扱わない。著者らは利益相反に当たり得る所属・資金関係はないと開示している。
日本に当てはめるときの注意
最大の障害は、理論モデルがUBI額や最適税率を日本向けに推計したものではないことである。モデルの結論は条件付きの方向性であり、具体額には日本の所得分布、労働供給弾力性、税捕捉、既存給付を入れた実証が必要になる。
- 「無条件」を、所得、資産、世帯、就労可能性、行動条件のどれについて外すか分解して議論する必要がある
- 個人単位給付は世帯内の経済的自立を支えるが、税・扶養・社会保険を世帯単位のまま残すと制度が不整合になる
- マイナンバーと源泉徴収で所得把握が比較的容易でも、自営業所得、資産所得、世帯内移転は完全には観察できない
- UBI額だけでなく、財源税による手取り賃金と労働供給の変化を同じシミュレーションに入れるべきである
- 医療、障害、介護、教育など必要に応じる給付は、一律現金への単純統合に向かない
- 普遍制度によるスティグマ減少は有力な仮説だが、日本での受給認識と政治的持続性は別途検証が必要である
