研究の背景
途上国でUBIを考えるとき、論点は「貧困層の所得を増やすべきか」だけではない。受給者が現金を酒・たばこなどへ浪費するのか、労働をやめるのか、現金が投資と所得成長につながるのか、限られた予算を全員へ配るより貧困層へ絞るべきか、という疑問が政策選択を左右する。
著者らはUBIを、既存の保健・教育・栄養政策をすべて置き換える制度ではなく、追加的な反貧困介入として検討する。焦点は三つである。
- 受給者は追加所得を何に使うか
- 信用、保険、心理面の制約を緩め、他の所得も成長させるか
- ターゲティングではなく普遍給付にする利点と費用は何か
方法と対象
これは単一の実験を統合したメタ分析ではなく、途上国の現金給付、信用・保険市場、貧困の心理、ターゲティング、国家能力に関する理論と実証研究を論点別にレビューした論文である。効果量を一つに合成せず、どこまでが既存研究で分かり、どこからがUBI固有の未解決問題かを区別する。
執筆時点で、途上国で真にUBIと呼べる実施例として著者らが挙げるのは、インドMadhya Pradesh州の9村、Namibiaの2村、イランの全国給付の三つだけで、いずれも無作為化評価ではなかった。既存の実験研究の多くは、次の点でUBIと異なる。
- 貧困、地域、年齢などで対象を選別している
- 世帯内の特定の成人、しばしば女性世帯主へ支給する
- 数か月から数年で終わり、恒久給付への期待を作らない
- 地域全員には支給せず、価格・賃金・社会関係への波及を十分に捉えない
そのため、著者らは既存の現金給付研究をUBIへの有用な手掛かりとしつつ、直接の証拠とは扱わない。
結果
浪費・依存という懸念は既存研究に支持されない
レビュー対象の現金給付は、健康、教育、資産、貯蓄、食料、女性のエンパワメントなど幅広い指標で正の効果を報告してきた。どの指標が改善するかは研究間・個人間で大きく異なる。この多様性は、受給者が自分の必要に応じて使途を選べる現金の価値を示す一方、特定の一指標だけを最小費用で改善したい政策には現金が最適とは限らないことも意味する。
既存レビューでは、酒・たばこなど「誘惑財」への支出は平均で0.18標準偏差減少していた。また、複数の現金給付研究をまとめたレビューは、労働供給を体系的に減らす証拠を見いだしていない。これは問題行動や依存が存在しないという意味ではなく、現金不足がそれらを抑えているという仮説を支持しないということだ。
ただし、この証拠の大部分は短期・対象限定の給付である。全員が生涯受け取ると予想する制度なら、職業、教育、移住、家族形成を含む長期計画が変わり、既存研究とは効果が異なる可能性がある。
成長への効果は「何が制約か」で変わる
貧困層の投資を妨げる制約は一様ではない。
信用制約では、少額資本の収益率が非常に高い実験がある一方、よく似た現金助成で所得効果がない研究もある。メキシコのOportunidadesでは受給額の推定26%が投資され、長期消費を増やした。Zambiaの二つの無条件給付では、稼得所得が給付額の59%相当増えた。だが小額の定期給付は、大きな設備投資に必要な一括資金として使いにくい。
保険制約では、損失リスクを負えない農家が高収益・高リスクの作物や事業を避ける場合がある。継続的な最低所得がリスク負担を可能にする論理はあるが、所得水準と危険な投資の関係について直接の証拠は乏しい。
心理的制約では、欠乏が認知帯域を奪い、期待や自己効力感を下げる可能性がある。KenyaのGiveDirectly給付では大きな給付がストレス指標のコルチゾールを下げ、Indonesiaの現金給付では自殺率が18%低下した研究がある。ただし、資産だけを渡すより訓練と伴走を組み合わせた「卒業モデル」の方が所得を長く増やした例もあり、現金だけで全ての制約を解けるわけではない。
UBIの成長政策としての強みは、各人の制約を行政が正確に診断できないとき、少しずつ幅広い制約を緩め、完全な的外れになりにくいことにある。逆に、誰に何が足りないか分かるなら、信用、保険、訓練などへ直接介入する方が費用対効果は高い。
ターゲティングは完全でも無料でもない
予算を固定すれば貧困層へ集中する方が一人当たり給付を厚くできる。しかし現実の選別には除外・包含の誤り、調査費用、更新遅れ、汚職、申告操作、就労・資産形成への逆インセンティブがある。
- IndonesiaとPeruでは真の貧困層の80%を捕捉しようとすると、非貧困層を含める誤りが22〜31%になった
- African 9か国では、代理資力調査、単純な人口属性、基礎所得型の配分の成績差が小さく、除外率は約25%残った
- African 30か国では、栄養不良の子ども・低体重女性の約75%が最貧困五分位の世帯におらず、世帯所得で絞ると個人の困窮を外す
- 社会保護制度の受益者のうち最下位五分位に属する割合は、制度類型によって平均33〜45%にとどまった
- 貧困状態は年々移動するのに、資産調査の更新は数年から10年以上空く例がある
普遍給付はこうした選別誤りを避け、限られた行政能力でも「誰が存在するか」だけを確認すればよい。デジタルIDと送金インフラがあれば限界的な配布費用も下がる。一方、全員を対象にする財政費用は大きく、正確な本人確認は依然必要である。
著者らの結論は常に完全普遍を選ぶべきというものではない。地域による単純な対象設定、富裕層だけを外す準普遍制度、受給に小さな手続きを課す自己選択なども候補になる。ただし手続き負担は障害者など最も受給が難しい人を排除し得るため、例外措置が必要である。
実験結果だけで政策は動かない
NamibiaとIndiaの実験は多数の改善を報告したが、政権・官僚・運動組織との関係が変わると全国制度には結び付かなかった。Zambiaでは好結果が制度予算を8倍にした一方、対象制限は再導入された。著者らは、UBI研究の価値は推定精度だけでなく、どの政治連合が結果を受け止め、制度を維持するかにも左右されると指摘する。
日本に当てはめるときの注意
最大の障害は、論文の中心が所得把握の難しい非公式経済と行政能力の限られた国にあることだ。マイナンバー、税・社会保険記録、銀行口座が比較的整う日本では、ターゲティングの相対的費用と精度が異なる。
- 既存研究の大半はUBIそのものではなく、短期・対象限定の現金給付である
- 現金が多様な成果を生むことと、特定の保健・教育政策より費用対効果が高いことは別問題である
- 日本でも世帯単位の所得判定は、世帯内で資源を得にくい個人を見落とす可能性がある
- 普遍給付は行政を簡素化するが、年金、医療、介護、障害など必要額が個人ごとに異なる制度を一律給付だけで代替できない
- デジタル給付では、口座や端末を持たない人、本人確認が難しい人への別経路が必要である
- 利益相反として、共著者Paul Niehausは、本論文で扱うGiveDirectlyの無給の理事であり、著者ら自身も同団体のケニアUBI評価に参加している
