研究の背景
北米の最低所得保障実験は個人や世帯を無作為化し、主に労働時間を測ってきた。しかし全国制度では、周囲の人も保障を得ることで、働き方の規範、雇用主の反応、仕事の分け合いなどが変わり得る。孤立した受給者の実験では、この地域文脈を捉えられない。
MINCOMEのドーファン地区は地域の全世帯が所得に応じて参加できる「飽和地域」だった。本研究は未分析だった支払記録と参加者調査を使い、個人所得効果と地域文脈に由来する変化を分けようとした。
方法と対象
ドーファンの保障額は4人世帯で2014年価値約19,500カナダドル、所得1ドルにつき給付を50セント減らす負の所得税だった。少なくとも706世帯、約2,128人が一度は受給した。
主分析は、実験前調査と毎月の賃金・給付記録を結合し、全期間追跡できた非農家世帯に限定した。
| 群 | 世帯数 | 内容 |
|---|---|---|
| ドーファン飽和処置 | 147 | 地域内で全世帯が参加可能 |
| マニトバ分散処置 | 45 | 同じ保障額・減額率だが受給者が地域に点在 |
| マニトバ対照 | 100 | 給付なし |
労働参加は世帯員がその月に市場賃金を得たかで測り、実験前2年と実験中3年の平均を差の差で比較した。ドーファン対対照を総処置効果、ドーファン対分散処置の差を「地域・社会的相互作用効果」と解釈した。
加えて、1976年の参加者407人による自由記述調査から加入・就労変更の理由を分析した。この調査は労働撤退を直接質問したものではなく、因果機序を確定する資料ではない。
結果
労働参加は中程度に低下した
実験前の労働参加率は対照79.0%、ドーファン75.3%、分散処置78.0%だった。実験期間には75.7%、60.6%、66.4%となった。前後変化は対照マイナス3.4ポイント、ドーファン同14.7ポイント、分散処置同11.6ポイントだった。
差の差によるドーファンの処置効果はマイナス11.3ポイント(標準誤差1.5ポイント、p<0.001)だった。若年世帯は18.6ポイント、単身世帯は16.2ポイント、二人世帯は7.4ポイントの低下と推定され、若年・単身世帯が全体を主に構成した。
約3.1ポイントを地域文脈と解釈した
ドーファンの変化と、同じ給付条件を個別に受けた分散処置群の変化との差はマイナス3.1ポイントだった。著者は11.3ポイントの約30%を、周囲も制度へ参加できる地域文脈の効果と解釈する。ただしp<0.15にとどまり、分散処置群は45世帯と小さい。
この差には規範変化だけでなく、雇用主、賃金、労働需要、世帯構成、地域固有ショックも混ざり得る。「社会的相互作用」を直接無作為化したわけではないため、3.1ポイントは機序を識別した確定値ではない。
「余暇」だけでは説明できなかった
自由記述で労働から離れる可能性を示した人は、子どもや家族のケア、就学・訓練、早期退職、障害、病気、仕事不足や季節雇用を挙げた。大多数の就労は変わらず、著者が「働かず遊ぶだけ」と解釈できる記述は見いださなかった。
ただし自己申告には社会的望ましさがあり、無償ケアや非公式農作業を労働参加指標は捉えない。農家世帯がデジタル化された支払パネルから除外されたことも、農村経済全体への外挿を制限する。
日本に当てはめるときの注意
最大の障害は、継続追跡できた非農家の参加世帯292世帯による準実験であり、地域住民全体や現代の全国労働市場を代表しないことである。
- MINCOMEは所得に応じて50%減額される負の所得税で、全員同額のUBIではない
- 参加世帯の18〜20%程度しか実際に給付を受けず、飽和とは全員受給の意味ではない
- 1970年代の小規模・季節的な農村労働市場であり、都市部や遠隔就労の多い日本とは雇用構造が違う
- 地域文脈効果3.1ポイントは10%水準でも有意でなく、分散処置群が小さい
- 労働時間、生産性、賃金、無償ケアの総量を直接測っておらず、参加低下を社会的損失と即断できない
- 研究は米国国立科学財団とInstitute for Research on Povertyの支援を受けた。特定の利益相反の申告は見当たらない
