UBI研究機構 資料データベース / 途上国の給付 PAPER 09
途上国の給付 / ケニア / RCT / 2023

ユニバーサル・ベーシックインカム — ケニアの長期実験からの短期結果

原題:Universal Basic Income: Short-Term Results from a Long-Term Experiment in Kenya

種別
論文・研究資料
発表年
2023
地域
ケニア
手法
RCT
出典
2023年9月15日
この論文の要点
01

労働は減らず職業構成が変わる

02

村全体で企業と売上が拡大

03

一括給付が長期給付に匹敵

研究の背景

UBIの経済的な根拠の一つは、対象を絞る(ターゲティング)ことのコストである。受給者として特定される過程は、申請の行列などの時間的コストと、尊厳の喪失といった心理的コストを課す。これらは申請者を——最も困窮した層を含めて——遠ざけ、選別の誤りと相まって、社会が最も助けたい相手を排除してしまう。

しかしUBIの是非は給付の経済的便益にも依存する。より厳しい問いを立てるなら、給付額以上に受給者の所得を引き上げるかを問える。「楽な金は人を怠惰にする」という懸念は経済学に長い伝統があるが、途上国の近年の実証はこれに反論を積み上げてきた。むしろ所得が上がる経路として、(a) 保証所得が精神的圧迫を和らげ仕事に集中できるようにする心理的経路、(b) 金融市場の不完全性ゆえに諦めていた投資(リスクが高いが収益性のある事業)を、所得保証がリスク許容度を高めることで可能にする経路、(c) 借入れも貯蓄もできない世帯が投資資金を得る経路、などが挙げられてきた。さらに経済に遊休能力があれば、UBIは需要ショックとしてケインズ的な波及効果を持ち得る。

途上国ではこの問いが特に重要である。有効なターゲティングを行うデータも実施能力もないため普遍的給付が合理的だが、他方で財政制約が厳しく大規模な給付は極めて高くつく。給付が持続的に所得を押し上げるなら、一部の受給者が自発的に給付を卒業できる水準まで自力で上がり、この緊張を部分的に緩和できる——最終的にはUBIの段階的縮小すら可能になるかもしれない。

方法と対象

ケニアのボメット県とシアヤ県(国内でも貧しい2県)の農村部。ベースラインで85%の世帯が過去1年に飢餓を経験しており、一人あたりのメイズ消費は購買力平価で1日0.60ドル。73%が農業、21%が非農業の事業を持ち、平均1.7エーカーの土地を所有。携帯電話保有は86%だが銀行口座(デジタル含む)は13%。

325村から295村を無作為抽出し、村単位で4群に割り当てた。

群村数対象人数内容
対照群100村約11,000人給付なし
長期UBI(LT)44村約5,000人18歳以上の全成人に1日0.75ドル(PPP 1.88ドル)を12年間月次で支給
短期UBI(ST)80村約8,800人同額を2年間のみ
一括給付(LS)71村約8,800人一度きりの約500ドル(PPP 1,250ドル)。STの正味現在価値(年8%割引)と等価

設計上の重要点:

  • 世帯ではなく個人単位。長期群の女性がパートナーのもとを離れても、残りの給付を持って出られる。この点で多くの現金給付研究と根本的に異なる
  • 長期群の15〜17歳には、18歳になった時点から受給が始まると伝えられた
  • 給付はGiveDirectlyがモバイルマネー(M-PESA)で実施。ケニアは2014年時点で世帯の96%がモバイルマネー口座を持つ
  • 分析時点(2019年秋〜2020年初)では、3群とも受け取った総額がほぼ同じ。違うのは「今後も受け取れると期待しているか」だけ

データは世帯(8,292件)、配偶者(電話6,969件)、村の長老(295件)、市場の売り手(104市場)、企業センサス(9,850件)、移住者調査など。世帯調査の回答率は全群97%。総計23,000人が給付を受けた、UBI実験としては(給付対象人数でも長期群の期間でも)史上最大。

結果

村レベルの経済拡大(長期UBI)

  • 企業数14%、売上41%、費用35%、純収益52%の増加。移転額が対照群平均支出の11%であることを考えると大きい
  • 拡大はほぼすべて非農業部門、とりわけ小売に集中。村から2km以内で売られる品目数が倍増(p=0.114で有意手前)
  • 農業部門でも企業数・純収益は増えるが比率としては小さく非有意。ただし農業資産の価値は35%増で有意
  • 近隣市場の消費者物価に有意な変化なし(ただし推定精度は高くない)
  • 支出の地理も変化し、世帯は予算のより大きな割合を自村内で使うようになった

解釈:流通網の拡大。給付が一部を資金供給しつつ、給付が生んだ地元需要に応えている。

労働供給

  • 総労働時間に有意な変化なし。点推定値はむしろ正(増加)で、大きな減少は棄却できる
  • 内訳は明確に変化。賃金労働(特に農業)の時間が有意に減り、非農業の自営業の時間がそれをやや上回って増えた
  • 村の均衡賃金雇用量には効果がなく、村外からの労働者が穴を埋めたと見られる
  • 実際、農業・建設の賃金も、公共事業に応じるための留保賃金も上昇
  • 世帯への転入も増加(LSでは世帯数13%増で有意)

著者の結論:UBIが「怠惰」を促す証拠はない。あるのは職業選択への大きな効果である。

消費と厚生

  • 総消費は全群で増加(LTは5%増だが唯一非有意)。効果は対照群中央値の6〜11%、給付額の19〜33%
  • 食料消費、タンパク質摂取、食品の多様性は全群で有意に改善。タンパク質は分布の下位で25%、上位で15%程度の増加
  • 教育支出は全群で増加、STとLSのみ有意。医療支出はLS以外で減少するがいずれも非有意
  • アルコール:自己申告の飲酒量に効果なし(大きな変化は棄却)。一方、「近隣で毎日飲む人を見る頻度」は有意に減少し、飲酒を問題と感じる割合も下がった
  • 抑うつ(CES-D)は全群で有意に低下。ただしLSの効果はLTの約半分で、差は有意
  • 幸福度(Cantrilの梯子)は3群ともほぼ同じだけ上昇(10段階で約0.2)
  • 家庭内暴力は3群とも負の点推定値だが、有意なのはLSのみ
  • ローカス・オブ・コントロールはLTで最も負に振れた——世帯を幸福にしながら、同時に「自分で状況を制御している感覚」を弱めているように見える

資産

  • 農地の自己評価額が3群とも大幅かつ有意に上昇。ただし土地の取得が増えたわけではなく、同じ土地の評価額が上がっている。建物への投資では説明しきれない大きさで、転入増と併せると「treated村が住みたい場所になった」という認識を反映している可能性
  • 非土地資産の総蓄積は群により580〜1,150ドル(給付総額は約3,000ドル)
  • 貯蓄は増えるが小幅。負債に有意な変化なし
  • ROSCA(頼母子講)への参加がLTで劇的に増加。年間拠出額は平均給付額の19.8%、対照群中央値の300%に相当。LT ≫ ST, LSの差は有意

3群の比較(この研究の核心)

項目LT(12年)ST(2年)LS(一括)
村の経済拡大大小(LSとの差は有意)大〜より大
労働供給賃労働→自営同様同様
消費最小(非有意)大大
子どもの身体計測効果なし改善(唯一有意)効果なし
KCPE試験250点超効果なし効果なし14%改善(有意)
抑うつの改善最大中最小(LTとの差は有意)
ROSCA参加最大小小

同額を受け取っているのに、配り方で結果がここまで違う。

著者のモデル

貯蓄・借入の双方に制約があり、かつ先を見て行動する世帯を想定する。一部の世帯(H型)は、まとまった初期投資 I を沈めれば高い限界収益 R を得られる事業機会を持つ。

  • LS:最初からまとまった額があるので、すぐ投資できる
  • LT:貯めるのに時間はかかるが、収入の流れが長く続くので投資する価値がある。だから貯める(ROSCA参加の激増がその証拠)
  • ST:貯め終わる頃には収入が途切れる。だから投資せず、消費・栄養・教育・家財に回す

ST世帯の子どもの身体計測値が唯一改善したのは、この裏返しである。

日本に当てはめるときの注意

給付額は1日0.75ドル。極貧層の基礎的ニーズを満たす水準であり、日本で議論されるBIとは性質がまったく異なる。この実験が測っているのは「生存水準の保証が経済活動をどう変えるか」であって、「先進国の社会保障をBIに置き換えたらどうなるか」ではない。

そのほか:

  • 正の効果の多くは「金融市場の欠落」に由来する。銀行口座保有13%、借入残高が月消費額以下という環境で、UBIが事実上の信用供与として機能している。日本の金融アクセスではこの経路はほぼ塞がっている
  • 村全体への給付という設計ゆえ、効果の相当部分は一般均衡効果(地元需要の増加→小売の拡大→賃金上昇)である。日本で一部地域にBIを導入しても、消費が域外に漏出するため同じ波及は起きにくい
  • 逆に「配り方が結果を決める」という発見は普遍性が高い。日本の給付政策でも、一律定額の月次給付と、まとまった一時金と、期限つき給付では、受け取る側の行動が別物になり得る。著者は結論で「まとまった額を作りたいという需要に応える設計にすれば、UBIは極貧対策としてより説得的になる」と述べている
  • 短期パイロットから長期政策を外挿するなという警告は、日本のBI論に最も効く指摘。同額を配ってもLTとSTで結果が違うことを、この研究は実験的に示している
  • ROSCA参加の激増は、日本の頼母子講(無尽)が既にほぼ消滅していることを考えると、そのまま対応する制度がない
  • 著者のうちFayeとNiehausはGiveDirectlyの無報酬理事。利益相反は開示されている

関連論文

同じ実験のコロナ禍データを扱った論文がある。

  • Banerjee et al. "Effects of a Universal Basic Income during the pandemic"

https://econweb.ucsd.edu/~pniehaus/papers/ubi_covid.pdf

  • 途上国UBIの総説:Banerjee, Niehaus & Suri (2019) *Annual Review of Economics*

https://www.nber.org/system/files/working_papers/w25598/w25598.pdf