UBI研究機構 資料データベース / 途上国の給付 PAPER 20
途上国の給付 / ケニア(シアヤ郡) / クラスターRCT / 2022

現金給付の一般均衡効果 — ケニアの大規模実験

原題:General Equilibrium Effects of Cash Transfers: Experimental Evidence from Kenya

種別
論文・研究資料
発表年
2022
地域
ケニア(シアヤ郡)
手法
クラスターRCT
出典
Econometrica, 90(6), pp.2603–2643(2022年)
この論文の要点
01

非受給世帯にも消費と所得が波及した

02

地域の移転乗数は約2.4と推定された

03

大規模給付でも物価上昇はごく小さかった

研究の背景

無条件現金給付の研究は受給世帯の消費、資産、健康、労働などを多く調べてきた。しかし、受給者が地元で支出すれば企業売上、賃金、非受給者の所得が動き、逆に需要増で物価が上がる可能性もある。通常の世帯単位RCTは対照村への波及を無視しやすく、地域経済全体の効果や財政乗数を直接推定できなかった。

本研究は、GiveDirectlyによる大規模な一時金給付を地域と村の二段階で無作為化し、受給世帯、非受給世帯、企業、価格を同時に調査した。局所GDPの15%を超える規模の外部資金を投入し、ミクロな家計効果と一般均衡効果を結び付けた点が特徴である。

方法と対象

研究地域はケニア西部シアヤ郡の連続する3準郡で、最終標本は84サブロケーション、653村、ベースライン人口約28万人だった。GiveDirectlyは藁葺き屋根を簡易な貧困基準とし、約3分の1の世帯を受給資格ありと判定した。

資格世帯にはM-Pesaを通じて合計87,000ケニア・シリング、名目約1,000米ドル、購買力平価で1,871ドルを3回に分けて支給した。これは受給世帯の平均年間支出の約75%に相当する。一度限りの給付であり、追加給付がないことは事前に伝えられた。

段階無作為化と処置
地域割付高密度33群、低密度35群へ割付
村割付高密度群では3分の2、低密度群では3分の1の村を処置
世帯給付処置村の全資格世帯に3回、計87,000シリング
対照対照村の資格世帯と全村の非資格世帯

現金を受け取ったのは653村の10,500超の貧困世帯で、処置村へのピーク12か月の資金流入は地域GDPの約17%だった。研究者は65,385世帯と12,095の非農業企業を悉皆調査で把握し、ベースライン世帯調査7,848件、エンドライン8,242件を実施した。エンドライン追跡率は各群で90%超、調査時点の中央値は実験開始から19か月、最終給付から約11か月後だった。

企業調査、61市場で2〜2.5年間の月次価格調査、農業・自営業調査も行った。各世帯・企業の周囲2kmごとの給付密度を用い、村内と村外への空間的波及を推定した。主要分析と距離帯選択は複数の事前分析計画に基づく。

公開PDFは2019年初版、2021年改訂のNBERワーキングペーパー版であり、メタデータは2022年の査読出版版に合わせている。公開版の乗数は2.4、最終出版版の要約では約2.5と報告されており、本稿では公開PDFの数値を中心に記す。

結果

受給世帯の支出と資産が増えた

空間的波及を含む受給世帯の年間支出増は338.16ドル(標準誤差109.36)、うち非耐久財226.74ドル、耐久財109.07ドルだった。土地・住宅を除く資産から純借入を差し引いた額は182.01ドル増え、住宅価値は480.68ドル増えた。

嗜好品への年間支出は5.88ドル増だったが有意でない。受給世帯の年間所得増は134.02ドルで有意ではなく、利益や賃金にも個別には明確な増加がなかった。支出増の一部は受け取った現金の取り崩しで説明される。

非受給世帯にも大きな波及があった

非受給世帯の年間支出は333.73ドル増(標準誤差123.24)し、低密度対照地域平均2,536.86ドルの約13%に相当した。非耐久財支出は316.62ドル増えた一方、耐久財支出は有意でなかった。

非受給世帯の年間所得は229.46ドル増(標準誤差88.59)し、主に賃金所得の182.99ドル増による。貯蓄の取り崩しではなく、受給者の支出が地元企業の売上と労働需要を通じて所得へ波及したという説明と整合する。

企業では年間売上が、処置村で総効果356.81ドル、対照村でも波及効果244.27ドル増えた。費用も増えたが、利益の推定値は正でも有意でなかった。固定資本投資は明確に増えず、主に需要主導の拡大と解釈される。

労働時間は有意に変わらなかった

受給世帯の直近7日間の総労働時間は1.41時間増、非受給世帯は4.70時間減だったが、どちらも統計的に有意ではない。自営から賃金労働へ移る兆候はあったものの、総労働供給の大きな変化はなかった。

これは、売上と生産の増加が主に労働時間の追加ではなく、既存の店舗・設備・労働時間の稼働率上昇から生じた可能性を示す。地域の非農業企業は一人事業が多く、平均顧客数は1時間1.9人だった。ただし設備稼働率を直接測ったわけではなく、「余剰能力」は著者の示唆的な説明である。

物価上昇は限定的だった

市場で70品目を毎月追跡した価格指数の平均上昇は約0.1%だった。給付が最も集中した時期でも、各品目群の推定価格効果は1%未満だった。賃金、土地価格、金利の点推定値には上昇もあるが、空間的波及を含めると多くは有意でない。

したがって、観察期間内では支出・売上増の大部分は名目価格ではなく実質活動の増加だった。ただし研究地域全体に共通して生じた価格変化は近隣との比較なしには捉えにくく、長期インフレも対象外である。

地域の移転乗数は約2.4だった

給付開始後29か月までを集計すると、支出側から求めた乗数は2.53、所得側は2.28、両者の平均は2.40だった。平均乗数が0以下という仮説の片側p値は0.04、1以下は0.15で、両推定を共同で1以下とする仮説は10%水準で棄却された。最終出版版では局所乗数を約2.5と要約している。

乗数は1ドルの給付が2.4ドルの純便益を必ず生むという意味ではない。地域内で支出が繰り返されて測定期間中の付加価値がどれだけ増えたかという推定であり、資金調達費用、全国的な金融・為替反応、将来の反動を含まない。

厚生と外部性

受給世帯では心理的幸福、食料安全保障、教育、安全の指数が改善し、健康と女性のエンパワーメントは有意でなかった。非受給世帯では教育指数が0.1標準偏差上がったほかは有意差がなく、健康、家庭内暴力、心理的幸福、地域公共財への負の波及は確認されなかった。

一方、非受給者にも利益が広がったため、村内の消費格差は明確に縮まらず、一部では資産格差がわずかに増える推定もある。対象化された給付が地域全体の相対格差を必ず縮めるとは限らない。

日本に当てはめるときの注意

最大の障害は、海外寄付による一時金を農村地域へ投入した実験であり、国内課税で毎月給付する全国UBIとは資金循環が違うことである。著者自身も、通貨発行や国内課税による全国制度で同じ乗数・物価効果になるとは述べていない。

  • 給付は普遍的でなく、藁葺き屋根を基準に約3分の1の貧困世帯へ対象化された
  • 一度限りの大口給付であり、恒久所得への期待や長期の労働・投資反応を測っていない
  • 地元生産比率が高く、遊休能力のある農村では、輸入・域外調達の多い日本都市部より乗数が大きくなり得る
  • 日本で一般課税により賄えば、受給地域外からの純流入ではなく、納税者側の消費減も同時に起きる
  • 価格効果は約2年半の地域市場調査で、住宅、全国サプライチェーン、長期賃金・物価を網羅しない
  • Paul NiehausはGiveDirectlyの共同創業者、元代表、無報酬の理事長であり、Johannes Haushoferは調査協力機関Busara Centerの創設者・無報酬理事だった。研究解釈ではこの関係を考慮する必要がある
  • 日本への示唆として強いのは給付額そのものより、非受給者・企業・価格を同時に追わない評価は総効果を過小評価し得るという研究設計上の論点である