研究の背景
世帯所得と子どもの学力には正の相関がある。しかし親の能力、教育志向、家庭環境などが所得と学力の双方に影響するため、所得そのものの効果とは限らない。本研究は2010〜2012年の児童手当制度の大幅な変更を使い、外生的な可処分所得の変化が教育支出と子どもの認知能力を変えたかを調べた。
2010年には対象年齢が15歳まで拡張され、所得制限が撤廃され、子ども1人当たり月額1万3千円となった。その後、年齢・出生順位別の金額が復活し、2012年には所得制限も再導入された。政権交代後の予想しにくい制度変更と、既にいる子どもの年齢・出生順位で決まる給付差を識別に利用した。
方法と対象
慶應義塾大学の日本子どもパネル調査(JCPS)を、親調査のKHPS・JHPSと接続した。対象は小中学生とその親で、2010〜2014年に各世帯を原則2年おきに調査した。子どもは国語と算数・数学のテストを受け、学年間で比較できるよう項目反応理論で能力値を作った。親は授業料、こづかい、塾・習い事など子ども別の月間教育支出を回答した。
所得制限を一度でも超えた世帯、拡大家族、欠測のある観測を除き、主要標本は1,185組の親子、1,943観測だった。税・社会保険料と児童手当を含む可処分所得を制度ルールから計算した。
一階差分で時間不変の家庭・子どもの特徴を除き、前年の家族構成を現在の制度に当てはめた給付額と旧制度での反実仮想給付額の差を、所得変化の操作変数にした。能力値のFD-IV推定は756観測、教育支出は558観測である。子どもの年齢・性別、きょうだい数、両親の学歴、地域、調査年を統制した。
結果
観察上の相関は、因果推定では消えた
通常のOLSでは世帯所得100万円増につき、国語0.0177標準偏差、算数・数学0.0379標準偏差、合成能力0.0278標準偏差の正の関連があった。一階差分でも算数・数学と合成能力に正の関連が残った。
しかし制度変更を操作変数にすると、国語は-0.0304、算数・数学は0.0739、合成能力は0.0218標準偏差で、いずれも統計的に有意でなかった。短期的な所得増が認知能力を直接高めたという証拠は得られず、単純な所得・学力相関には未観測の家庭要因が含まれることを示す。
教育支出は増えた
FD-IVでは、可処分所得が100万円増えると、子ども1人当たりの月間教育支出が約11,222円増えた(5%水準で有意)。標本平均で評価した所得弾力性は約2.6だった。ただし教育支出推定の第一段階F値は7.63であり、操作変数が弱いことによる不安定さに注意が必要である。
高所得世帯では約12,035円、女子では約18,168円の増加だったが、いずれも10%水準の結果である。低所得世帯の係数は小さく非有意で、借入制約の強い世帯ほど教育投資が増えるという予想は支持されなかった。学力については親学歴、所得、年齢、性別のどの下位群でも有意な効果がなかった。
支出増が将来の学力を高めるかは分からない
同時点の所得と能力値を扱う短いパネルなので、教育支出の増加が数年後の学力や非認知能力を改善する可能性は検証できない。著者は、短期の学力効果がnullであることと、長期効果が存在しないことを区別している。
日本に当てはめるときの注意
最大の障害は、教育支出の増加は確認できても、子どもの長期的成果への改善を観測していないことである。
- 制度変更が所得を通じてのみ成果へ影響するという操作変数の排除制約が必要である。政権交代や同時期の政策期待が直接行動を変えた可能性は残る
- 教育支出の第一段階F値は10未満で、下位群ではさらに小さい。大きな係数を精密な金額予測として使うべきではない
- 所得制限を超えた世帯と拡大家族を除き、親子パネルへの継続回答者だけを分析している
- 学力テストは国語と算数・数学の短期変化で、健康、非認知能力、進学、成人後所得は対象外である
- 支出増が高所得世帯で大きい点は、現金給付だけでは教育投資格差を縮めない可能性を示すが、下位群推定の不確実性は大きい
- JSPS科研費(JP16H06323、17H06086、24000003)が研究を支援した。公開PDFは2017年の慶應IES Discussion Paper版で、題名と分析稿の時点が2021年の査読掲載版と異なる
