研究の背景
途上国で現金給付が急拡大する一方、「給付を受けると働かなくなる」という見方が政策支持を弱めてきた。個別研究にはnull結果が多いが、制度、対象、労働指標が違うため、共通定義で比較した全体像は不明瞭だった。
本研究は、政府が運営し、純粋な対照群を持ち、成人男女の労働データを公開しているクラスターRCTを収集し、同じ分析仕様で再推定した。UBIそのものの比較ではなく、就労要件を課さない所得補助型の現金給付が労働を減らすかを検証する研究である。
方法と対象
対象はホンジュラスPRAF II、インドネシアPKH、モロッコTayssir、メキシコProgresaとPAL、ニカラグアRPS、フィリピンPPPPの7制度である。すべて国政府による実施で、地域単位に無作為化された。
給付額は世帯消費の約4〜20%、7制度平均で13.6%だった。多くは就学・予防接種条件付きだが、就労要件はない。PALは無条件、Tayssirには無条件に近い処置群も含まれる。
16〜65歳の就業有無と週労働時間を、農業、自営、家族内労働を含めて共通化した。ベースラインが信頼できる5制度では差の差、残る2制度ではエンドライン比較を用い、標準誤差を無作為化単位でクラスタ化した。さらに制度ごとの異質性を許すベイズ階層モデルで統合した。
結果
個別制度で大きな労働離脱はなかった
7制度のうち就業率に有意な負の効果があったのは、給付が最も小さいホンジュラスの3ポイント低下だけだった。週労働時間はどの制度でも有意に減らなかった。男性ではフィリピンで就業率が増え、女性ではホンジュラスで減ったが、男女を通じた一方向のパターンではない。
家族内労働と外部雇用の間の移動も制度ごとに異なった。ニカラグアでは外部から家族内へ、メキシコProgresaでは逆方向の変化がみられ、給付が一律にインフォーマル化を促すという結果ではなかった。
統合推定はゼロに近かった
世帯消費の13.6%相当を給付する仮想的新制度について、就業率の平均効果は対照平均56%に対しマイナス0.4ポイントだった。95%確率で低下幅は2.3ポイントより大きくないと推定された。
週労働時間の平均効果は対照平均21時間に対しマイナス5分で、95%確率で低下は1時間42分以内だった。男性の点推定値は就業率プラス0.1ポイント、労働時間プラス約30分、女性は就業率マイナス0.8ポイント、時間マイナス約30分だったが、女性の不確実性は大きい。
なぜ減りにくかったのか
多くの制度は居住地、資産、家族構成などで受給資格を定め、現在の所得や就業が増えても即座に給付を失わない。したがって追加労働への暗黙の限界税率が低い。また、給付だけで生活できる規模ではなく、信用制約の緩和が労働を増やす経路もあり得る。
一方、大型資産と訓練を組み合わせる「卒業型」支援では自営労働が増える研究がある。これは少額の所得補助型給付と、労働を補完する生産資産の提供が別の介入であることを示す。
日本に当てはめるときの注意
最大の障害は、分析対象が低・中所得国の小規模な対象別給付であり、日本の十分な生活費を賄う恒久的UBIとは給付規模も資格・税制も違うことである。
- 7制度の大半は条件付き・対象選別型で、普遍的個人給付ではない
- 給付額は平均で世帯消費の13.6%であり、大きな所得代替効果を検証していない
- 公開データに成人男女の労働指標があるRCTだけを選んだため、対象研究の選択可能性がある
- 統合結果は「労働が必ず減らない」ではなく、中程度以上の平均減少を支持しないという結果である
- 日本では所得審査や給付逓減が就労と連動するため、暗黙税率を制度ごとに評価する必要がある
- 公開PDFは2016年の著者最終稿で、書誌情報は2017年の査読出版版に合わせている。論文に特定の利益相反の申告は見当たらない
