UBI研究機構 資料データベース / 政治・社会 PAPER 54
政治・社会 / 日本 / 修士論文・規範的制度分析 / 2023

ベーシックインカムはどのような社会を目指すのか — 実質的自由と交差点型社会

原題:ベーシックインカム(BI)のもつ原理的意義とめざすべき社会の提示―万人の実質的自由と「BIに支えられた交差点型社会」

種別
論文・研究資料
発表年
2023
地域
日本
手法
修士論文・規範的制度分析
出典
三重大学大学院人文社会科学研究科 社会科学専攻修士論文、47頁(2023年3月)
この論文の要点
01

BIの目的を万人の実質的自由と定義する

02

無条件・定期・現金給付の意義を整理する

03

少額から始める段階的導入を提案する

研究の背景

日本のBI論議では、財源、消費刺激、少子化、就労意欲など個別の政策効果が中心になりやすい。しかし、個々の目標には対象を絞った政策の方が安価で効率的に見えるため、BIを単なる政策手段としてだけ正当化するのは難しい。本稿は、BIがどのような社会理念を実現するための制度なのかという原理的議論を深める必要があるとする。

新型コロナ禍で日本が実施した特別定額給付金は広く給付されたが一時的であり、その後の給付は対象・担当機関・要件が分かれた。著者は、こうした選別的で断続的な所得保障では生活と将来の不安を十分に減らせないという問題意識から、BIの目的・特徴・望ましい社会像を整理する。

方法と対象

実証分析ではなく、Van Parijsのリアル・リバタリアニズムを中心に、BI、正義論、雇用、社会保障に関する文献を検討する規範的制度分析である。全5章で次を扱う。

章検討内容
第1章政策手段としての議論と原理的議論の区別
第2章BIを最低生活保障や事後的再分配と同一視する理解の検討
第3章万人の実質的自由と、BIが備えるべき三つの特徴
第4章雇用と生活保障の結びつき、ジョブ資産、労働と所得の分離
第5章「BIに支えられた交差点型社会」、少額BI、潤沢なBI

文献レビューの検索範囲、採否基準、研究の質評価を定めた系統的レビューではない。主張は哲学・社会政策文献、日本の給付制度、当時の報道・調査を組み合わせた論証であり、著者独自の調査や因果推定は行っていない。

結果

BIの目的を「万人の実質的自由」に置く

本稿は、自由を権利の保障と自己所有だけでなく、望む生き方を実際に選べる機会まで含む「実質的自由」として捉える。所得は目的そのものではなく、財・サービスへのアクセスと時間の使い方を広げる手段である。したがってBIの原理的目的は、所得の有無を雇用だけに依存させず、最も選択肢の少ない人を含めて実質的自由を拡大することだと論じる。

著者はBIを最低生活費だけを保障する制度とも、所得格差が発生した後に埋め合わせる事後的再分配とも区別する。市場へ参加する前から全員に基盤を与え、労働するか、誰と暮らすか、時間をどう使うかという選択を実質化する制度として位置づける。

三つの特徴に原理的意義がある

BIENの定義を整理し、本稿はBIの特徴を「無条件」「定期的」「現金給付」の三つにまとめる。

特徴本稿が見いだす意義
無条件所得・資産・家族構成・労働によって給付を制限せず、存在を平等に肯定する
定期的一時的救済ではなく、将来を予測できる継続的な物質的基盤を与える
現金給付使途を行政が指定せず、本人が必要な財・サービスを選べる

無条件給付には金銭的効果だけでなく、「全員が社会の一員である」という表現的な意味があると主張する。子どもを含めた全員への同額給付を原理的には支持する一方、障害などで追加費用が必要な場合は、BIとは別の制度を上乗せすべきだとする。

定期性については、将来の所得を予測できることが教育・学習などへの投資を可能にすると論じる。ただし、引用される一時金の消費率や家計調査はBIの反復給付効果を直接示すものではなく、定期的BIの因果効果は本稿で検証されていない。

労働と所得を部分的に切り離す

本稿は、現行社会では生活保障が雇用、とりわけ安定した雇用へ強く結びつき、良質な仕事そのものが希少な「ジョブ資産」になっていると整理する。所得を得るための賃労働と、社会へ貢献する活動を同一視すると、ケア、学習、ボランティアなどの非賃金活動が過小評価される。

BIは賃労働をなくす制度ではなく、所得の全てを賃労働へ依存させない基盤とされる。望まない仕事を断る可能性、労働時間を減らす可能性、別の活動へ移る可能性を広げ、労働市場での交渉力を変え得るという議論である。

「BIに支えられた交差点型社会」を提示する

著者が提示する交差点型社会は、BIを共通の基盤として、賃労働、家事・ケア、学習、地域活動、余暇など複数の活動を人が行き来できる社会である。単一の雇用上の地位に生活保障と社会参加を集中させず、人生の時期や事情に応じて活動の組み合わせを変えられることを重視する。

導入方法として、初めから生活費全額を賄う「潤沢なBI」ではなく、少額の定期給付から開始し、効果と人々の反応を見ながら調整する案を示す。少額でも無条件・定期・現金という特徴が持つ表現的意義は残り、制度への理解と支持を形成できる可能性があるとする。

ただし著者自身、少額給付で実際に支持が増えるかは予測にすぎないと認める。最適給付額についても、給付が高すぎれば労働・財サービス供給が減り、現金があっても購入対象が不足する可能性や、高賃金職への参入条件が上がる可能性を検討し、事前に一つの正解を決めるのは難しいと結論づける。

未解決の制度課題を残す

本稿は、原理的意義を示すことと制度実装を区別する。税制と財源、既存社会保障との関係、子どもや意思表示が難しい人への給付、対象居住者と移民、物価に応じた給付調整などは未解決であり、別途詳細な政策設計が必要だとする。

日本に当てはめるときの注意

最大の障害は、査読を経た実証研究ではなく、少額BIの支持形成や交差点型社会への移行をデータで検証していない修士論文であることである。

  • 「少額から始めれば理解と支持が広がる」という中心的な実装案は仮説であり、世論調査・実験・制度導入の因果結果ではない
  • 文献レビューは系統的ではなく、BIを支持する規範論を中心に構成されている。反対論や代替制度との比較を網羅したレビューではない
  • 2023年3月の論文で、コロナ禍の給付制度、物価、政党公約、海外制度の記述は現在と異なり得る
  • 全員同額という原理と、子ども・障害・介護・住宅費など異なるニーズへの対応は別制度に委ねる。上乗せ制度の費用と行政設計は示していない
  • BIと既存の年金、生活保護、雇用保険、児童手当、税控除をどう組み合わせるかは未決で、財政持続可能性の試算もない
  • 給付額上昇による賃金、労働供給、物価、財・サービス供給への影響は思考実験にとどまる
  • 「自由」「存在の肯定」「社会の一員」という価値判断を明示する論文であり、価値中立的な政策効果の測定ではない
  • 三重大学機関リポジトリは本資料を2022年度の修士論文・正式公開版として登録している。本文に研究資金・利益相反の開示欄は確認できない